きまたまジャーナル

オーロラの海に浮かぶ氷山と、アーモンドの花冠

2018年に神学校で発表した課題

【エリサベツについて】

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今回、神様に「ここであなたが教えたいことは何ですか」と尋ねながら聖書を読んだ。その中でキーワードとして強く示されたのは、「ひとつ」ということ。あとで説明する。

 

1.はじめに


エリサベツの記事は、ルカによる福音書だけに書かれている。


3番目の福音書であるこの書は「人として来られた主イエス」(黙示4-7)を表す書簡だと、以前に黙示録の授業で学んだ。


"第一の生き物は、獅子のようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空飛ぶ鷲のようであった。"ヨハネの黙示録 4章7節

 

それなので、イエス様の地上での歩み(人としての歩み)について語るとき欠かせない登場人物がエリサベツであり、ザカリヤであり、バプテスマのヨハネではないかと思った。

 

2.ルカ1章のあらすじ


子どものいない老夫婦(祭司ザカリヤとエリサベツ)の夫にみつかいが現れ、妻エリサベツはお告げどおり受胎する。同じみつかいが半年後、婚約中の処女マリアに現れ、彼女もそのお告げどおり受胎する。


エリサベツとマリアは親戚同士で、ふたりは妊娠中に3カ月の共同生活をする。ほどなくバプテスマのヨハネイエス・キリストが生まれる。

 

3.ひとつのこと


ここでは、バプテスマのヨハネとイエス様の誕生が、切っても切れない出来事として語られている。聖書はこれをひとつのこととして伝え、預言し、喜んでいると感じる。


・ガブリエルの行動と伝え方

ザカリヤの預言

・エリサベツとマリアの共同生活


詳しくは説明しないが、上記にもそのことが現れている。

 

4.エリサベツとマリアの相関関係


そのようなわけで、私は当初エリサベツに注目していたが、マリアとエリサベツを対比してみた。今日ここから何かを述べるわけではない。しかし、ただこうして比較するだけでも、興味深い点が多々あると分かる。

 

●エリサベツ

①夫はアロンの家系(祭司、預言者

②エリサベツは旧約聖書に通じていた⇨「主のすべての戒めと定めを落ち度なく踏み行っていた」

不妊の女、年配(80代)

④天使ガブリエルがあらわれる
「男の子を産む」
「その子をヨハネヤハウェは恵み深い)と名付けよ」

ヨハネは荒野にいた

ヨハネは残酷な殺され方をする⇨斬首

ヨハネはエリヤの霊と力を持つ

⑧長子権を持つ

 

●マリア

①夫はダビデの家系(王)

②マリアは旧約聖書に通じていた⇨マリアの讃歌に詩篇からの引用多数

③婚約中の処女、乙女(10代)

④天使ガブリエルがあらわれる
「男の子を産む」
「その子をイエスヤハウェは救い)と名付けよ」

⑤イエスは荒野にいた

⑥イエスは残酷な殺され方をする⇨十字架刑

⑦イエスダビデの王位を持つ

⑧王権を持つ


5.道ぞなえをするのは御霊の本質


エリサベツとザカリヤバプテスマのヨハネが、全員、道ぞなえの働きをしている点にも「ひとつ」を感じる。


例えばイエス様にとって、バプテスマのヨハネは、ご自分が世に来るための道ぞなえをする者であった。マリアにとっても、エリサベツは、自分が救い主を産むための道ぞなえをする者であった。マリアはエリサベツから多くの確証と励ましを受けていることからわかる。

 

お互いに同じ目的(ひとつのこと)に達するために、ひとつの霊によって動かされている感じ。道ぞなえをするのは御霊の本質である。

 

6.御霊とイエス様はセット


そこで思い出したのが、御霊とイエス様はいつもセットで働くということ。 御霊はイエス様のために、いつも花嫁に仕えているということ。


例えば、

主の道を整えよと叫ぶこと(イザヤ40-3)、王の宦官として花嫁の養育をすること(エステル2-3)、香に満ちた花嫁が乗ったみこしを、荒野から王のもとへ警護すること(雅歌3-6)、花嫁の傍らに最後まで立って「マラナタ、主よ来てください」と言い続けること(黙示22-16)


これらはすべて、同じ御霊の働き。花嫁へのイエス様の思いを表すとともに、御霊の献身、御霊の情熱、御霊の本質、御霊の力強さを表すもの。

 

胎児だったバプテスマのヨハネを満たして喜び踊らせたのは御霊である。御霊は、あまりにもイエス様を愛しているので、マリヤの胎の中のイエス様に歓喜した。だれよりもイエス様を待ち望んでいたのは御霊だったから。


だから、このことは切っても切れないこと、ひとつのこととして書かれているのだと感じた。

 

7.不妊の女の偉大な使命


不妊の女には、「役に立たない者」という汚名(恥)が着せられている。彼女には、もう諦めてしまった祈りと願いがあり、無駄に重ねてしまった年月がある。しかし神様は、不妊の女に「産み出す」偉大な使命を与え続けておられる。

 

神のカイロスが満ちると、その祈りは叶えられ、願いをはるかに超えるレベルで答えが与えられ、不妊の痛みと恥はぬぐわれ、その女は神に不可能はないことを示す器となる。

 

肉の力がすべて衰えたとき、それでも神の道を選び続けるとき、神のカイロスが来る。

 

"あの方は盛んになり私は衰えなければなりません。」"
ヨハネ福音書 3章30節

 

不妊の女は、神の御心、神の計画を産み出す者となる。

 

8.御霊の思いを受け取る

 

"というのも、私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。"
コリント人への手紙 第二 11章2節

神様とともに働く働き人は、みなこの御霊の思いを受け取っていた。このことをこころに止めたい。


御霊の思いを受け取り、主とひとつになるなら、私のような普通のお母さんであっても、パウロのような偉大な伝道者であっても、神様のために使命を成し遂げて生きることができる。

 

9.おまけ、名前の意味


ヨハネ=主は恵み深い

ザカリヤ=主は覚えておられる

エリサベツ=主の誓い

 

聖霊に満たされたザカリヤは、これらの名前の意味をひとつに総括するかのように、「主は誓いを覚えておられる(ルカ1-73)」と神様の恵み深さを預言している。