神様が私に任せているのは
「霊的に完全に死んでいる者」に対する
とりなしである。
それをしたのは
聖書でいえばシュネムの女であり、
リツパであり、
エゼキエルである。
彼らは全身で神様の心を求め、
悟るまでは決してあきらめず、
なりふりかまわない。
(果たしてこんなことして意味があるのかな)
という状況においても哀願する。
そして結局その姿が
神様の心を満足させ、
動かしていく。
「もう死んでいる」ということは
「だから手遅れ」ということと
イコールではない。
むしろ神様にはどんなことでもできる。
だからあわれみが注がれるまで
信仰によって待ち望み、期待し
祈り続ける必要がある。