きまたまジャーナル

オーロラの海に浮かぶ氷山と、アーモンドの花冠

個人的メッセージメモ 15

パラサイト 2023.2.3.

ジュン・リー師

https://youtu.be/k_6znAbqR0Q

 

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メッセージに入る前に、このメッセージを今日するきっかけになったお話から始めたいと思います。


神学生のとき、ローマ書を教えていたラニー先生が突然このようなことを言いました。


「このクラスの何人かは、将来牧会者として働くだろう。教会の中にあなたの時間とエネルギーだけを奪っていく人たちがいる。その人たちに気をつけなさい。相手にしてはいけないよ。私は彼らを寄生虫と呼んでいます」


神学校時代、どの授業が一番印象に残りましたかと聞かれたら、必ずこのローマ書とは全く関係のない寄生虫の話を思い出します。


寄生虫、英語でパラサイトと言うんですけど、日常生活で決して使わないその言葉が、私にものすごい衝撃を与えました。眠気も吹き飛んで、他の生徒たちもみんなポカーンとして。本当に聖霊様がその場所に力強く臨在して、ローマ書を教える先生に急遽触れて語らせた、霊的な牧会をする人への預言的な警告とアドバイスの言葉だったと信じます。


教会の中に羊だけがいるわけではないのです。ヤギ、羊のなりをした狼、聖書にはいろいろあるけれど、その先生の意味するパラサイト(寄生虫)も存在します。霊的な指導者たちが、力も時間もエネルギーも費やしてはいけない人たちです。


「パラサイト」この言葉は、人や動物にくっついて邪魔するという程度のものではありません。


例えばコバンザメだったら、サメが食べた何かの残りカスを食べて自分が生き残っていく。ところが寄生虫は、その人が持っている本来牧会に使うべき、羊を養うために使う時間とエネルギーを自分に向けさせる人たちなのです。


だから、愛がないとかではなく、本当にその人たちに費やしてはいけない、牧会の使命を守らなければいけない、という現状が私たち働き人にはあります。今日そのお話を少しして、この教会は今後どうすべきか分かち合いたいと思います。


ラニー先生いわく「寄生虫の目的は、自分への注目と関心だけ。だから相手にしちゃいけないんだ」と。本当なら、クリスチャンは自分がイエス様の似姿に変わるためにもっと自分に死に、自己否定し、霊的な成長成熟へ向かっていかないといけません。ある意味、寄生虫はそのゴールが違うというわけなんです。その人物をいくつか聖書で見ていきたいと思います。


"数日後、フェリクスはユダヤ人である妻ドルシラとともにやって来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスに対する信仰について話を聞いた。

しかし、パウロが正義と節制と来たるべきさばきについて論じたので、フェリクスは恐ろしくなり、「今は帰ってよい。折を見て、また呼ぶことにする」と言った。"

使徒の働き 24章24~25節


フェリクスは、分かりやすく言うと超お偉いさんです。けれどもパウロは、別に偉いからといってペコペコしたり聴き心地のいい福音を伝えたりするのではなく、明確に来るべき裁きについて語りました。閣下、はじめまして。あなた地獄に行きますよ、ということです。


フェリクスはパウロに、今は帰って良い、また呼ぶことにすると言います。


もし伝道した相手が、今はちょっとお開きにしましょう、もし何かあったらまた呼びますね、と言うなら、また皆さん呼ばれると思いますか。思いませんよね。完全に社交辞令じゃないですか。けれども、ちゃんとフェリクスはパウロを呼ぶんです。何のために呼んだのか。


"また同時に、フェリクスにはパウロから金をもらいたい下心があったので、何度もパウロを呼び出して語り合った。"

使徒の働き 24章26節


みなさんも交わっているとわかるはずです。この人は本当に神様を知りたくて、教会に興味があって、自分が変わりたくて、ではなくそれ以外の目的で教会に来ていたり、信仰生活を装っていたりするのだと。フェリクスはパウロにとって完全にパラサイトでした。


多くの人は言うでしょう。でもそうやって交わりながら心開いていくものだよと。


確かに人がイエス様に来る理由は、ある意味何でもいいんです。経済的にちょっと困っているとか、人間関係うまくいってない、結婚関係うまくいってない、病やいろいろな問題がありますとか。最終的に、自分が罪人であって、このイエス様の救いを受けたい。そうなるためには、確かにこの関係づくりは非常に大事です。


けれど、フェリクスの場合は、お金をもらいたい下心というゴールが決まっていました。完全にパウロにとっては寄生虫です。彼にどれだけ時間を費やし、どれだけ御言葉を語っても何にも意味がない。私が他に知っている先生も、本当にラニー先生と似たようなことを言いました。


「神様から与えられた時間と御言葉は、ちゃんと語るべき人に語って、聞こうとしない人、変わろうとしない人に費やしてはいけないんだよ。ちゃんと体を休ませて安息を得なさい」そんなアドバイスを、先輩の牧会者にもされたことがあります。なぜなのか。


パラサイトが教会に来るのは、関心と注目を得るためで、結局自分のためなんですね。パラサイトは簡単に言えば、クリスチャンではありません。じゃあ何の霊が働いているのか。当然、聖霊様以外の霊なんですけれども、その霊の正体を見ていきたいと思います。


"さて、祈り場に行く途中のことであった。私たちは占いの霊につかれた若い女奴隷に出会った。この女は占いをして、主人たちに多くの利益を得させていた。

彼女はパウロや私たちの後について来て、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えています」と叫び続けた。

何日もこんなことをするので、困り果てたパウロは、振り向いてその霊に、「イエス・キリストの名によっておまえに命じる。この女から出て行け」と言った。すると、ただちに霊は出て行った。"

使徒の働き 16章16~18節


占いの霊がパラサイトの正体です。そしてここで彼女は、パウロや弟子たちについてきてこのようなことを言います。この人たちはいと高き神の僕たちで、救いの道をあなたがたに述べ伝えていますと。聖書には叫び続けたと書いてあります。


普通だったら素晴らしい信徒を発見したと、伝道旅行になんて役に立つ信徒だと、思わないですか。叫んでるんですよ。叫び続けたと書いてあります。ありがたい、宣伝になるみたいな感じですね。けれども次の聖句を見てみると、幾日も続けたので困り果てたパウロはと書いてあります。


クリスチャンのように見えるかもしれませんが、寄生虫は霊が違います。寄生虫の特徴は口からだけは模範解答が出る、クリスチャンのように見える、です。つまり聖書に対するある程度の知識があるんです。なので、実は皆さんの学校や職場にいる目立ちたがりや、関心や注目を浴びたい人とは、まったく違う種類なんです。


寄生虫の特徴は、特に御言葉に立つ働きに携わる牧会者から注目を得ようとします。だから、例えばセルリーダーやグループメンバーが目立ちたがり屋じゃないから、注目や関心を浴びようとしないからこの人大丈夫と思ってはいけないんです。


フェリクスも占いの霊に憑かれた女奴隷もそうです。リーダーから寵愛を受けたいのです。その人から認められれば、別に教会の誰が出て行こうが何でもいいのです。自分が注目を浴びればいいという風になります。それが占いの霊なんです。


今ここにいる人全員、安心したと思います。私は絶対に違うと。だって私、占い信じないから。星座占い信じませんし、私別に水晶玉覗いたこともありませんよと。そのくらいの感覚かもしれません。


けれども占いの霊は非常に恐ろしいです。


"ああ、愚かなガラテヤ人。十字架につけられたイエス・キリストが、目の前に描き出されたというのに、だれがあなたがたを惑わしたのですか。"

ガラテヤ人への手紙 3章1節


惑わした、迷わせたと日本語にあります。英訳のほとんどはウィッチと書いています。魔女、つまり占いをするものという意味です。この英訳をわかりやすく日本語に直すと、誰があなた方を占い師にしたんですかと言っているんです。


ただ騙される、惑わされる、変質するではないのです。あなたは本来クリスチャンでしょと。それなら聖霊様が働いていないといけないのに、なんで占いの霊を働かせているのとパウロは言っています。私は水晶玉覗いたことない、テレビのチャンネルつけて自分の占い信じない、別にこれで自分は大丈夫だと判断してはいけません。


占いの霊は、特に教会の中で働くと私は思っています。世の中で、ではないんですね。この人たちの特徴は、聖書をある程度知っている、でも聖霊様の中にあって作り変えられることが目的ではない、でした。なぜなら、罪を犯すとそれがずーっと聖霊様に示されて、真理の道、悔い改めへと導かれるのですが、寄生虫はそれが嫌でたまらないんです。


教会にはいたい。注目を浴びたい。関心を受けたい。世の中じゃ誰も私のことを見てくれない、どうしよう。でもクリスチャン的じゃないことはできない。


こういうわがままな要求に答えてくれるうってつけの悪霊が占いの霊なんです。聖霊充満の真似事もできるのが占いの霊です。だから教会にたくさん働きます。


なので特徴は、頑張ってリーダーたちと絡もうとして、1秒でも多くの時間と少しでも多くのエネルギーを牧会者たちから取ろうとすること。あと口から模範回答が出ること。恵まれました、示されました、悟られました、チャレンジを受けました。でも行わないんですね。そして聖霊が私にこういった、聖霊聖霊聖霊です。それが占いの霊です。ふりをしたいんですね。クリスチャンのふりをする。それが占いの霊です。


ジョン・ビビア先生の「主は本当にそう語られたのか」でも、聖霊様の反対の悪霊を占いの霊と言っていますし、エレミヤ書では、偽預言者に対しむなしい占いという表現をしています。クリスチャンのふりを教会でし続けるのが占いの霊です。


"あなたがたはそんなにも愚かなのですか。御霊によって始まったあなたがたが、今、肉によって完成されるというのですか。"

ガラテヤ人への手紙 3章3節


私たちが信仰生活を始めるとき、御霊によって始まり、御霊によって終わらなければいけないけれども、なんで肉に戻るんだということです。先ほども言ったように、自分はもうこれ以上、自分が変化、自分が犠牲、自分が自己否定したくない。でも教会には居続けて周りからクリスチャンと見られたい。そういう人は、自ら肉によって占いの霊を選ぶのです。


今日もし、あなたが明らかに自分のことを言われていると示されたなら、寄生虫の霊出て行けとか、パラサイトの霊出て行けではないんです。パラサイトの悪霊、寄生虫の霊というのは存在しません。占いの霊です。


聖霊様ではなく、自分の自我で占いの霊を選んでいく。その自我が寄生虫です。自我は私たちが 十字架に釘付けなければいけません。また、悪霊を殺すことはできません。逆に私たちの肉を殺さないといけないんです。悪霊が誘惑に来るたびに、私たちは抵抗して攻撃しなければいけません。悪霊に対して肉に対するようにしてはいけませんし、肉に対して悪霊に対するようにしても効果がないです。


私たちは、本当に血を流すまで肉を叩かなければいけないし、悪霊に対してもキリがありません。なので最後まで戦い抵抗し続けなければいけません。


特徴を何個か言いましたが、これが最後の特徴で、適用に移りたいと思います。


寄生虫は自分が関心・注目を浴びられればいいのですが、それが得られないとどうなるのか。つまらなくなるんです。少しずつ教会から離れていって、また戻ってくる、これをずっと繰り返す人もいます。それによって注目を浴びさせる。聖霊様に示されてちゃんと教会に戻ってきなさいって言われたと言い、また去っていって、あたかも霊的に賢い優れたふりする。それが悪化すると、肉によって完成されます。聖別されたはずの生活が逆になっていきます。私たちが本来交わってはいけない人の中へ、また戻るようになります。


旧約聖書にもう一人、寄生虫の特徴を持つサウル王がいます。サウルは本当に寄生虫そのものでした。ダビデを殺す、やめる、やっぱ殺す。ダビデごめん本当にごめんもう追わない、やっぱ殺す。ああダビデ、我が子よ。


気持ち悪くないですか。そうなんです、気持ち悪いんです。だからラニー先生は、本当に上手い表現を使ったと思います。寄生虫。人にくっついて全部養分だけを吸い取っていく。


私たちには牧会者は確かに必要です。なぜなら神様が私たちのために教会を備え、五役者によって信徒たちが成長すると書いてあるからです。けれども、私たちのゴールはイエス・キリストでなければいけません。メッセージを通して、御言葉を通して、仲介者として私たちが先生方を尊敬し必要とし助けを求めるのはいいですけれども、最終的には信仰の創始者であり完成者である主に向かわなければいけないんです。


肉によって完成される人は、これが文字通り逆になっています。最初、イエス聖霊様って言いながら、結局どこかで目に見える人を捕まえて、相談を聞いてくれと言ったりします。痛いから祈ってくれとかいろんな方法を使います。これは本当に交わると分かります。そしてさっきも言ったように、神様を求めてないのであれば、神様から御言葉を与えられないし、結局悪循環に陥ってしまいます。だから本当に信仰を持って、神様から答えを受けるまで私は祈り続けます、御言葉を読み続けます、という姿勢はすごく大事です。


それができなかったのがサウルです。ずーっと相手のアテンションを引き寄せていたサウルには、神様は何も語りませんでした。


"サウルはペリシテ人の陣営を見て恐れ、その心は激しく震えた。

サウルは主に伺ったが、主は、夢によっても、ウリムによっても、預言者によってもお答えにならなかった。"

サムエル記 第一 28章5~6節


これは当然です。主は、主を追い求めるもののみに語られるからです。私たちは明確に悟りましょう。この状態になったら、悔い改めて、本当に灰をかぶって、断食したりして、自分が占いの霊だったと、完全に寄生虫だったとならなければいけないんです。けれども寄生虫は、自分は変化したくない。周りからはクリスチャンと思われたい。じゃあどうするのか。


"サウルは変装して身なりを変え、二人の部下を連れて行った。彼らは夜、女のところにやって来た。サウルは言った。「私のために霊媒によって占い、私のために、私が言う人を呼び出してもらいたい。」"

サムエル記 第一 28章8節


サウルは霊媒師に会いに行きました。


霊媒は、サウル自身が追い出したんです。これはイスラエルに不要だと。しかし、結局自分から戻っていきました。そしてその霊媒師の女性にバレて「サウルじゃないですか」って言ったら、こう答えます。


"サウルは主にかけて彼女に誓って言った。「主は生きておられる。このことにより、あなたが咎を負うことは決してない。」"

サムエル記 第一 28章10節


覚えていますか、寄生虫の特徴。口では、神様神様、聖霊聖霊様って言うんですね。サウルは主の御名を使いました。主は生きておられる、あなたは絶対に咎を負わないよと。聖書では、この時代、霊媒師を殺さなければいけませんでした。それを何で勝手に「いや大丈夫。聖霊様が言われる。死なないって言ってた」とか言うのでしょう。


"サウルは主に伺ったが、主は、夢によっても、ウリムによっても、預言者によってもお答えにならなかった。"

サムエル記 第一 28章6節


敵がチャンスだと思って占いの霊を送ったのか、それともサウル自ら占いの霊のところに行ったのか、どちらでしょうか。自分からです。サウルが自分で追い出したものへ、結局肉によってまた戻るんですね。


本当に、教会でも、すごく重度の寄生虫は、外部で会ってはいけない人と会います。


教会で誰も注目してくれないとき、自分の思うようにいかないとき、何をするかというと、外の人に会いに行きます。ダメと分かっていても会いに行くんです。隠れて。サウルも隠したじゃないですか。堂々としてないんですね。分かっているから、会ってはいけないって。わかっているから、隠れて行く。こういうことをするのが寄生虫です。


私たち牧会者たちは、それを実は見ています。その人たちには、残念ながらどれだけ御言葉を語ってもダメです。見えないところで会ってはいけない人と会ったり、注意しても本当に平気で「この教会のリーダーがこうした」と嘘をつきます。


教会に実はこういう人たちがいると語りましたが、正直私が疑問に思ったのが、主は何を望んでおられるのだろうということでした。今日の話を現代風にまとめるなら、霊的な牧会者あるあるなんですね。


これは御言葉をちゃんと重視している人でないと、わかりません。だって、寄生虫は御言葉を重視している人を攻撃しにくるのです。その人たちから注目を浴びようとしてくるので、ある意味、召しを受けていなかったらわからないはずです。信徒の方には共感はできない内容だと思います。ではなぜ主が示したのか。祈っていたら、本当に答えが示されました。


"弟子たちには、これらのことが何一つ分からなかった。彼らにはこのことばが隠されていて、話されたことが理解できなかった。"

ルカの福音書 18章34節


この前の節は、人の子は十字架にかけられて3日目に蘇りますというイエス様の言葉でした。当時の弟子は理解できなかったのです。何一つわからなかったと書いてありますね。理解度0%だったというわけでありませんが、内容は理解できなかった。そんな弟子たちが使徒行伝では聖霊様に満たされ働きをしています。これは何を意味するのか。


真のキリストの弟子は、神様の御言葉を理解するから弟子なのではなく、理解できなくても信じるからキリストの弟子なんです。今日の話、理解できなくてもいいんです。信じる必要があります。アーメンでしょうか。


本当に皮肉な話だと思います。この中で誰かが私を裏切る、これは完全にユダには理解できる言葉でした。それ以外の弟子は、誰誰?誰?って言って、悲しみながら私ですか?と。もうそういう、ある意味「理解できてない状態」でした。


本当に皮肉なことに、理解できていなかった11人の弟子は使徒として働き、そして、完全に意味を理解していたユダは自分の道を選びました。そこで本当に悔い改めていれば、素晴らしい働きもあったかもしれません。


今回私が示されたのが、本当のリビングウォーターチャーチの羊たちは、これを聞いて信じて神様の道を歩むから大丈夫という思いでした。皆さんはどうでしょうか。信じていますか。この教会の寄生虫ではなくて羊でしょうか。


何で、今のが一番アーメンが小さいんですかね。


理解できなくても、信じて行うことが大事です。それによって教会は作り変えられていきます。


"そこで、十二人は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。「私たちが神のことばを後回しにして、食卓のことに仕えるのは良くありません。

そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たちを七人選びなさい。その人たちにこの務めを任せることにして、

私たちは祈りと、みことばの奉仕に専念します。」"

使徒の働き 6章2~4節


やもめミニストリーで起きた問題にどういう対策を取ったのかが書かれています。リーダーたちではなく、信徒の皆さんの中から人を選び、牧会者たちが祈りと御言葉の準備に専念できるようにしたと書いてあります。


この箇所が始まる前までは、分かりやすく言うと牧会者のワンマンミニストリーでした。3000人が増えたけれども、ここで信徒たちが全ての働きを担って、御言葉を伝える先生たちが祈りと御言葉に集中できるようにしたら、弟子の数が非常に増えたと書いてあります。英語で見ると掛け算になっています。


本当のリバイバルは、もっと牧会者が聖霊様に近づく、頑張る。それもありますけれど、実はそれに対して信徒が反応するということを聖書が教えています。寄生虫みたいな存在など、一般常識がある人ほど理解できないでしょう。なぜなら非常に非常識で失礼極まりないことだからです。


御言葉を伝えるために神様が先生たちを召されました。私たちは、礼拝で語られる御言葉で成長していきます。私は、先生方に相談していません。先生方が語ってくださる御言葉を信じて受け取り、問題があるとき、どうしても孤独を感じるとき、もっと祈ってもっと御言葉に時間を費やします。それでもダメだったら断食もして、文字通り主を待ち望み、神様から答えを得ることを心がけています。これが成熟なんです。


神様っていいながら、もし困ったら人間に、というその保険をなくさなければいけません。必ずイエス様の道を選びましょう。その先に永遠があります。お祈りします。