体調不良が続き、3週連続で日曜礼拝をおやすみした。不思議なことに、それだけで日々受け取っていた啓示的なものがピタッと止まる。
聖書を読んだり、祈りに行ったり、メッセージを聴いたりと、ほかのことは特におろそかにしていない。それなのに、皆で集まるあのひとときを逃してしまうと、いつもの自分ではなくなる感じがする。
礼拝は特別だ。神様は、まるで一本の糸でセーターを編むように、私たちひとりひとりをキリストのかたちに沿ってたてあげていく。私たちは目に見えないものでつながっている。目には見えない、キリストのいのちで。
リモートが悪いわけではない。でも、集まって礼拝するとき、はじめて教会全体に血がめぐるような気がする。一人一人が細胞のようにつなぎあわされて生きるとき、病んでいた部分、壊死しかけていた部分も健やかになっていく。
礼拝の中に、ほとばしる血液のような御霊の流れと、キリストのいのちが豊かにあるから。