きまちゃんは2人いるよね、と友だちが言う。
ちょっとドキっとする。そうかな。うん、そうかもしれない。
2人いるということは、病的に解離してるのだろうか。それとも、演技とか努力で本来の自分をカバー? 悪口を言わないように、いつも本音を抑えてる? どれもあるかなあ、と自問自答してみる。
ま、立場に応じて適切にふるまうことができると言ってしまえば、それまで。学生のころ、心理学の授業で「ロールプレイがうまい」とよく言われたし。
私はパスティーシュ小説が好きなのだが、それは自分が2人いるせいかもしれない、とふと思う。誰かになりすまして書く、パスティーシュ小説。清水義範の「ワープロじいさん」とか、もう最高よね。
私自身も、人の文体にはかなり敏感。さわりを読んだだけで、たいてい「あ、これあの人の文章だ」と識別できる。その人と話すより、その人が書いたものを読む方が、人となりを理解できると感じている。
ひらがなとカタカナの使い分け、漢字の割合、行間のあけかた、語尾、よく使うフレーズ…
文章における視覚情報はとても多く、また、私にとっては受け取りやすいものだ。会話は不得意なので、そんなふうにはいかない。なので、どちらかというと、話すより書いたものを読むほうが相手のことを分かる気がする。
声でのアウトプットより、文字でのアウトプットが断然得意なのだ。だから、一度文章にした内容を話すこともよくある。たまに、すごいわかりやすくまとまってるね、面白い、プレゼンみたいと驚かれる。
そうだ、きまちゃんが2人いると言われるのは、そういうときだ。なんか今、ストンと落ちたぞ。