きまたまジャーナル

オーロラの海に浮かぶ氷山と、アーモンドの花冠

アウトプットは文字が8割

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きまちゃんは2人いるよね、と友だちが言う。

 

ちょっとドキっとする。そうかな。うん、そうかもしれない。

 

2人いるということは、病的に解離してるのだろうか。それとも、演技とか努力で本来の自分をカバー? 悪口を言わないように、いつも本音を抑えてる? どれもあるかなあ、と自問自答してみる。

 

ま、立場に応じて適切にふるまうことができると言ってしまえば、それまで。学生のころ、心理学の授業で「ロールプレイがうまい」とよく言われたし。

 

私はパスティーシュ小説が好きなのだが、それは自分が2人いるせいかもしれない、とふと思う。誰かになりすまして書く、パスティーシュ小説。清水義範の「ワープロじいさん」とか、もう最高よね。

 

私自身も、人の文体にはかなり敏感。さわりを読んだだけで、たいてい「あ、これあの人の文章だ」と識別できる。その人と話すより、その人が書いたものを読む方が、人となりを理解できると感じている。

 

ひらがなとカタカナの使い分け、漢字の割合、行間のあけかた、語尾、よく使うフレーズ…

 

文章における視覚情報はとても多く、また、私にとっては受け取りやすいものだ。会話は不得意なので、そんなふうにはいかない。なので、どちらかというと、話すより書いたものを読むほうが相手のことを分かる気がする。

 

声でのアウトプットより、文字でのアウトプットが断然得意なのだ。だから、一度文章にした内容を話すこともよくある。たまに、すごいわかりやすくまとまってるね、面白い、プレゼンみたいと驚かれる。

 

そうだ、きまちゃんが2人いると言われるのは、そういうときだ。なんか今、ストンと落ちたぞ。