神は「信仰を見たい」と思っておられるが、
私も、家族や教会や友の中に
信仰を見たいと思っている。
もはや信仰を見ることに飢え乾いている、
と言っても過言ではない。
だから、
信仰をまったく見ることができないとき
心はひび割れて痛み、苦しむ。
それでありながら、実は
私自身の信仰は、
家族の信仰とも
教会の信仰とも
友の信仰とも関係がない。
なんということだろう。
無関係なのだ。
終わりの日、
私はたったひとりで神の前に立つ。
本当に、たったひとりで。
"あなたがたに言いますが、神は彼らのため、速やかにさばきを行ってくださいます。だが、人の子が来るとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」"
ルカの福音書 18章8節