きまたまジャーナル

オーロラの海に浮かぶ氷山と、アーモンドの花冠

今日も今日とて過酷試験

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私はメーカーに勤めているが、

ひとつの新製品を世に出すまで

たくさんの試験をする。

 

 

たとえば、発案に対する市場のトレンド調査。

採算が合うかどうかの開発審査。

原料の選定、試作。

試作品の品質の経時変化観察。

中身と容器の相性試験。

アレルギー感作試験、使用感テスト。

モニター配布、アンケート調査。

輸送テスト。

 

 

商品部部門でする試験だけでも

ざっとこんなにある。

 

 

新製品に接していると、ふと

「自分を見ているみたいだな」

と思う瞬間がある。

 

 

とくに、経時変化の観察のため

試作品を実験室の恒温槽に入れるとき。

 

 

これは「過酷試験」とも言う試験。

製品がどんな劣悪な状況でも

きちんと品質を保って

性能を発揮することができるか、

一定期間、あえて過酷な環境に置いて

テストするのだ。

 

 

寒冷地でも大丈夫か、確かめるため

氷点下に放置。

炎天下でも耐えられるか、確かめるため

60度に放置。

 

 

容器が凍ってひび割れたり

暑さで内容物が変質したりすると

どんなに大きな可能性を秘めた製品であっても

販売にはたどりつけない。

しかるべきステップに戻ってやり直すか

ボツ企画になる。

 

 

だから、頑張ってお店に並ぶんだよ、と

小さな声で励ましたくなる。

耐え忍んで、

自分の素晴らしさを証明しなさい、と

密かにエールを送りたくなる。

 

 

新製品はわが子のようなものだから。

 

 

そして同時に、

ああ、私もこうして

子どもとして神様に試されてるんだな、

と痛感するのだ。

寒暖差の激しい荒野の真ん中でひとり、

御言葉だけを食べながら

品性を保てるかどうか、

テストを受けてるんだなと。

 

 

そういうとき、

「愛する娘よ、試験済みの者になりなさい」

と見つめる

私への期待に満ちた神様の眼差しが

見えてくるように思う。

 

 

お題「わたしの仕事場」