きまたまジャーナル

オーロラの海に浮かぶ氷山と、アーモンドの花冠

公益通報

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世の中には

公益通報内部告発)制度」

なるものがある。

通報先には、

 


①会社内部の「公益通報窓口」

②管轄の省庁の「公益通報窓口」

③マスコミ

 


などが挙げられる。

最近、このことについてよく考える。

 

 

通報者の人権は法律で保護されるが、

実際には、通報したことで

その人が不利益をこうむることも多いらしい。

いちばんリスク回避できそうなのは

②だろうか。

 

 

公益通報など、

する立場にもされる立場にも

絶対なりたくないもの。

しかし、神の国にも公益通報はある。

 


"また、もしあなたの兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで指摘しなさい。その人があなたの言うことを聞き入れるなら、あなたは自分の兄弟を得たことになります。

もし聞き入れないなら、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。二人または三人の証人の証言によって、すべてのことが立証されるようにするためです。

それでもなお、言うことを聞き入れないなら、教会に伝えなさい。教会の言うことさえも聞き入れないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。"

マタイの福音書 18章15~17節

 


ここには、

教会内の罪に対処するための

3ステップ(下記)が記されている。

公益通報に該当するのは❸。

 


❶本人と2人きりで話す

❷数人の立ち会いのもと、諭す

❸教会に告げ、扱いを公にする

 

 

罪の取り扱いはキリスト教のキモ。

もっと露骨に

対処方法を記した聖書箇所もある。

 


"外部の人たちをさばくことは、私がすべきことでしょうか。あなたがたがさばくべき者は、内部の人たちではありませんか。

外部の人たちは神がおさばきになります。「あなたがたの中からその悪い者を除き去りなさい。」"

コリント人への手紙 第一 5章12~13節

 

 

ふだん、メッセージで聞くことが多いのは

「さばいてはいけません」

という御言葉の方だろう。

それは、結局のところ

さばかなければ丸く収まるからかもしれない。

 

 

さばくなという御言葉だけを握り

さばかないでいれば、

いくら陰で一生懸命祈っていても

その人が罪とともに滅びることもある。

とても難しいところだ。

 

 

ときに、人間的な愛は真理を駆逐する。

 

 

さじ加減はいつも、

主に求めなければならない。

これらは、

私自身を刺し通す御言葉でもある。

 

 

公益通報(内部告発)とは、

会社の内部の人間が、会社の法律違反行為を、しかるべき機関に通報すること。公益通報の対象となる「会社の法律違反行為」には、「国民の生命、身体、財産等の保護にかかわる法律」として定められた413の法律が含まれる。※(コトバンク引用)