きまたまジャーナル

オーロラの海に浮かぶ氷山と、アーモンドの花冠

「攻めの休養」、なるほど

お題「至福の休日を収めました」

 

片野秀樹氏の著書『休養学』によれば、休養には7タイプあるのだそう。(図は拾い画)

 

 

例を挙げると

❶休息   ゴロゴロ寝て何もしない。

❷運動   血の巡りを良くする。

❸栄養   少食や断食で胃腸を休める。

❹親交   人や動植物のなかで過ごす。

❺娯楽   ゲーム・カラオケなどで発散。

❻造形想像 クリエイティブな活動。

❼転換   旅行や買い物や外食。

 

その7タイプを組み合わせて、バランス良く摂取すれば休養のクオリティをあげられるそうだ。氏いわく「攻めの休養」。この考え方、わかりやすい。

 

 

 

今年のGWは、夫と2人で、海と森に囲まれた美術館へ。ここには週刊新潮の表紙をずっと描いていたイラストレーターさんの作品があって、とても可愛い。添えてあるコメントが詩のようで、無垢な世界に惹き込まれる。

 

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お散歩しながら、いつもと少し違うきれいな景色をボーっと眺めた。

 

 

小高い丘から見渡せるのは、青い空と海と、舞い上がるカモメの群れ。

 

ウグイスのさえずり、風で木の葉の擦れる音、遠くの潮騒、と優しい自然の音もいっぱい。色と響きに思わず五感を委ねる感じ。

 

 

満潮少し前の浜に出ると、砂というよりほぼ貝がら。クラゲとヒトデがぽとんと波打ち際に落ちていた。

 

肩までお風呂に浸かって、美味しいものも食べて、本と漫画とゲームも堪能して。❸以外は網羅した至福の休日でありました。

 

 

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(異言の解き明かし)

主よ、私に鍵をください。固く閉ざされた重い扉をこじ開けたいのです。主よ、どうか私に鍵を与えてください。目を覚まして、身を起こして、私のために立ち上がってください。


ー娘よ、顔をあげなさい。あなたに冠を授けるときがきている。


主よ、私は、牢獄の扉を開いて囚人を解き放つための鍵がほしいのです。与えてください。

 

(私は、差し出した自分の両手のひらに、金色の鍵がひとつ載せられる情景をイメージしていた)


ー娘よ、あなたの口に、異言の祈りを鍵として備えてあげよう。囚われ人の解放のための、油注がれた異言、それこそ鍵である。しかし、それは煌びやかな金ではない。真鍮でできた、実になんでもない、ごくごく普通の鍵なのだ。

 

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(写真は、ちょうど今日友だちが撮って送ってくれたもの。どこかの教会に飾ってあったらしい)

霊的みなしごの特徴

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(神様は私に、具体的な人々を示しながら少し教えられた)

 

人々のあいだで「みなしごの霊」が働いているとき、彼らは徒党を組んで生きようとする。彼らは、自分の法律でおさめる独自の王国を持とうとする。そこには、カウンターカルチャーがある。


彼らはまるで、戦争孤児のようだ。自分で自分を守ろうと、武装しているのだ。しかし、神はみなしごの父である。


娘よ。あなたは霊の孤児院で、みなしごたちの世話をする。


定まったときに、彼らに食物を与えなさい。暖かい服を着せ、身の回りの世話をしなさい。彼らを抱いて愛を注ぎなさい。これは目に見えない世界のことだ。

 


"あなたがたの神、主は神の神、主の主、偉大で力があり、恐ろしい神。えこひいきをせず、賄賂を取らず、みなしごや、やもめのためにさばきを行い、寄留者を愛して、これに食物と衣服を与えられる。"

申命記 10章17~18節


"みなしごの父やもめのためのさばき人は聖なる住まいにおられる神。神は孤独な者を家に住まわせ捕らわれ人を歓喜の歌声とともに導き出される。しかし頑迷な者は焦げつく地に住む。"

詩篇 68篇5~6節


"父である神の御前できよく汚れのない宗教とは、孤児ややもめたちが困っているときに世話をし、この世の汚れに染まらないよう自分を守ることです。"

ヤコブの手紙 1章27節


"わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。あなたがたのところに戻って来ます。"

ヨハネ福音書 14章18節

語られたこと

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それは嘘つきの霊です。神の霊ではありません。嘘つきの霊が根底にあり、その人を支配しています。


嘘つきの霊は、健全な教えにそむかせ、みことばの曲解や偽預言の実を結ばせます。不正を生み、混乱や分裂をもたらします。パーソナリティ障害と呼ばれるものの根底にあるのが、その嘘つきの霊です。


嘘つきの霊とは、その人自身の身に罪をたぐりよせ、滅ぼそうとするものです。

 

"ああ。うそを綱として咎を引き寄せ、車の手綱でするように、罪を引き寄せている者たち。"イザヤ書 5章18節

杖にすがって立ちあがる

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✳︎3月18日(異言の解き明かし)


わが神、わが神。あなたはどこにおられるのですか。私はあなたを探し求めています。まるで、パニックを起こした子が親の姿を探し回るかのように、私はあなたを求めて歩き回っています。


"わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。わが神。昼、私は呼びます。しかし、あなたはお答えになりません。夜も、私は黙っていられません。"

詩篇 22篇1~2節


"主よ。なぜ、あなたは遠く離れてお立ちなのですか。苦しみのときに、なぜ、身を隠されるのですか。"

詩篇 10篇1節

 

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✳︎3月19日(主の応答)

 

娘よ。あなたがたは今、執拗で容赦のない敵の圧迫と妨害の下にいる。だからわたしが見えない。わたしが遠くに感じられる。


けれどもわたしはあなたに、その失意の瓦礫の山の中から奮いたってほしい。まず、感謝の杖にすがって立ちあがりなさい。


"彼はその同胞と、サマリヤの有力者たちの前で言った。「この哀れなユダヤ人たちは、いったい何をしているのか。あれを修復して、いけにえをささげようとするのか。一日で仕上げようとするのか。焼けてしまった石をちりあくたの山から生き返らせようとするのか。」"

ネヘミヤ記 4章2節


"そのとき、ユダの人々は言った。「荷をになう者の力は衰えているのに、ちりあくたは山をなしている。私たちは城壁を築くことはできない。」

一方、私たちの敵は言った。「彼らの知らないうちに、また見ないうちに、彼らの真ん中に入り込んで、彼らを殺し、その工事をやめさせよう。」"

ネヘミヤ記 4章10~11節


"それでも、廃墟の中で人は手を差し伸べないだろうか。その衰えているとき、助けを叫ばないだろうか。"

ヨブ記 30章24節

 

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愛する娘よ、あなたはわたしが選んだ器だ。あなたの頭に置かれたアーモンドの花輪が、編まれてなお花を咲かせ、生きて星のようにまたたくのはそのためだ。

 

"その翌日、モーセはあかしの天幕に入って行った。すると見よ、レビの家のためのアロンの杖が芽をふき、つぼみを出し、花をつけ、アーモンドの実を結んでいた。"

民数記 17章8節

 

品性についての覚書(ブラザー・ヒョク3)

ブラザー・ヒョク師が、以前、短い動画のなかで下記(画像の下)のことを話していた。同様のことを、彼の師であるTBジョシュア師も語っている。2人が一緒に働いた期間はそう長くないのに、彼は師からとても大きな影響を受けたのだなと思う。

 

ブラザー・ヒョクが自分の母教会とミニストリーを離れたのも、この信仰のゆえなのかなと想像している。これ以上は控えるが、私にはとても重く響く貴重な言葉だ。

 

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(ブラザー・ヒョク師の動画よりメモ)

クリスチャンが、人生で求めるべき主要なものは、人格(人柄、品性)です。多くの人々が勘違いしています。


神様、私に油を注いでください。神様、私に預言させてください。神様、私に人々を癒す力を与えてください。神様、私をあの神の人のように用いてください。神様、私はステージで説教したいのです。


なぜそうしたいのか、その目的を考えてみてください。おそらく認められたいのでしょうが、最初にあなたは神様をあなたの人生で認める必要があります。どうやって? 人格で。あなたの人格で神様を認めることができます。わかりますか?


人生で最初に求めるべきは人格です。では、どのように人格を築けばいいのでしょう? どのように人格を鍛えればいいのでしょう? 神様が本当に求めている聖霊の実は、あなたの人格から生まれるものです。


人格を築くためには恵みが必要ですが、これは訓練によって練られます。だから簡単な仕事ではありません。簡単な方法ではありません。


神様は一瞬であなたに油を注ぐことができますが、あなたに油を維持するための人格がない場合、神様が与えたすべてを失うことがあります。だから、最初に神に求めるべきものは賜物ではありません。油注ぎでもありません。地位でもありません。最初に求めるべきものは人格です。しかし、人格形成には時間がかかります。10年、15年かかるかもしれません。


私は7歳からクリスチャンです。神様は私の人格を20年以上も訓練してきました。時間がかかります。厳格さが必要です。キリスト教は実践的です。人格は状況の中で築かれます。どのようにあらゆる状況に対処するかによって、人格が形成されます。


多くの人々は部屋で祈り、聖書を読み、40日40夜断食しようとします。ただ断食し、祈り、部屋にとどまります。しかし、神様はそのような人を用いません。人格は秘密の場所では築かれません。人格はあなたが経験する状況、人々との関係、教会で共同で働くプロジェクトの中で築かれます。どのようにあらゆる状況に対処するか、家族とどのようにコミュニケーションをとるか。あなたが経験するあらゆる状況は、神の大学なのです。神の大学を卒業する必要があります。


神学大学に行くだけが、神の大学ではありません。ただ部屋で祈り、何もせずに聖なる場所で祈るだけでは、神の大学ではありません。神の大学は実践的です。状況、関係を通じて築かれます。あなたは人生のすべての瞬間で適切に反応するために規律を持たなければなりません。人格はあなたの人生での反応、状況での反応、迫害での反応、受け取った言葉での反応と応答を通じて築かれます。


この瞬間こそ、あなたの人格を築くための時間です。だから、すべての瞬間で注意深く反応してください。

春の影 2

お題「春の息吹きをスマホに収めました」

 

森の中で、淡いブルーの羽根を発見。(オナガ?)

 

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最近、どうにも好きです、影が。暖かくなってきたから、陽射しのうらにある影まで、ついつい探してしまうのかもしれない。

 

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長く伸びた、私の影。寒々しくて味気なかった土に、少しずつ変化が見えてきて、この時期のお散歩は足元を見るのも楽しい。

 

花びらがたくさん落ちている、小さな木のまわり。


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あちこちで、学校帰りの子供たちが息を切らして鬼ごっこ。ランドセル背負ったまま、そんな斜面を駆け登るんだね。

 

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森の中の紅一点、今年初めて見る寒桜。斜めになった夕陽にところどころ照らされて、透けた花びらはステンドグラスみたい。

 

最後は、本日いちばんお気に入りの影を。


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