きまたまジャーナル

オーロラの海に浮かぶ氷山と、アーモンドの花冠

春を探しに 2

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祈りが「満ちる」という状態がある。

 

時間をかけて一滴ずつ溜めていくような祈りもあれば、バケツで一気に注ぎ出すような祈りもある。

 

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いずれにしても、祈りは溢れるまで満たすことが大切だ。

 

同じように、悔い改めにも「満ちる」という状態があるように思う。満ちてはじめて完了するのが悔い改めで、人が本当に罪を離れることができるのは、そのときなのではないかと感じる。


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告白して赦されたはずの罪の記憶が、自分の中によみがえってきて、「ごめんなさい」の思いがより深くなるとき。

 

実は、神様の前にある悔い改めの器を、本物の涙で満たしているような気がする。


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