祈りが「満ちる」という状態がある。
時間をかけて一滴ずつ溜めていくような祈りもあれば、バケツで一気に注ぎ出すような祈りもある。
いずれにしても、祈りは溢れるまで満たすことが大切だ。
同じように、悔い改めにも「満ちる」という状態があるように思う。満ちてはじめて完了するのが悔い改めで、人が本当に罪を離れることができるのは、そのときなのではないかと感じる。
告白して赦されたはずの罪の記憶が、自分の中によみがえってきて、「ごめんなさい」の思いがより深くなるとき。
実は、神様の前にある悔い改めの器を、本物の涙で満たしているような気がする。