通勤電車の中で、今朝、神様に語られたこと。神様の前に出るとき、私の昨日にはカンマやピリオドが打たれ、痛みは過ぎ去っていく。今日は新しい日。
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愛する娘よ。
それでよかったのだよ。
ベタニヤのマリヤが捧げたのは
地上の幸せ、つまりは
肉にすぎないものだった。
彼女はそれを涙で手放したのだよ。
娘よ。
あなたが捧げるものも、
すべてこの地上のもの。地上の思い。
だから、わたしにとって
それ自体できよいものは何ひとつないのだ。
けれども、その地上のものが粉々に砕かれ
あなたの築く祭壇の上で
聖霊とひとつになるとき、
それは聖なる捧げものとなるのだ。
覚えておきなさい。
それはもっともすばらしい捧げものだ。
サラサラになるまで砕かれ
上質の粉になった小麦と、
その上に注がれる聖霊の油。
わたしはこれからも
あなたの手から
そのような捧げものを受け取ろう。