きまたまジャーナル

オーロラの海に浮かぶ氷山と、アーモンドの花冠

最近のこと

f:id:kimatamajurnal:20240110235935j:image

 

今、私と夫はべつべつの教会へ通っている。


昨年の夏頃、「(自分の教会のほうへ)正式に移ることを考えてほしい」と夫から打診された。それで、私も何度か夫の教会に参加していた。もちろん、所属教会の許可を得てのことであった。


夫婦が違う教会に通うのはあまり良くないので、私たちのようなケースでは、妥協点を探って折り合いをつけることが多いらしい。月一でどちらかの教会に夫婦で出席するが、それ以外は自由とか。おそらく、私たち夫婦の今後についても、双方の教会が心にかけて見守ってくださっていたのではと思う。


でも結果的に、私自身は、自分の教会にとどまることを決めた。長くなりそうなので、今日はここまで。

ちょっとドライブ

美味しい麺類が食べたくなり、私が子どもの頃からあるお店に立ち寄ってきた。「うどんか蕎麦か」と訊かれたら私はうどん派だけど、この日頼んだのは海老天そば。

 

f:id:kimatamajurnal:20240109152053j:image

 

食べログの評価はそれほどでもないけれど、私はお出汁の味が好き。落ち着く内装で気持ちよくくつろげるし、窓からの眺めも良く、下座につくとかえって得した気分。宴会もできるので、年末年始はいつも混んでいる。

 

f:id:kimatamajurnal:20240109152422j:image

 

この後は、(体には良くないけど)ぱんぱんのお腹で温泉へ。露天やらクレイやらサウナやらジャグジーやら冷水やらで、家に着いた頃にはなんだかすっかり,ウトウト。

 

f:id:kimatamajurnal:20240109153229j:image

耳鼻科へ

f:id:kimatamajurnal:20231216165529j:image

 

サンタクロースも半袖で来そうな暖かさ。上着を腕にかけて歩いていると、汗だくになってしまう。

 

かねてから耳の聴こえが悪く、昨日は耳の中にかゆみや痛みもあったので、今朝は耳鼻科を受診。久々に聴力検査などを受けて来た。

 

検査は、昭和の電話ボックスみたいな箱に入り、ヘッドホンをつけて、音が聴こえたらボタンを押すというやつ。片方の耳にマスキングのための雑音を流しながら、もう片方の耳で音を拾うというのもやった。こちらは後頭部の骨のでっぱりに器具を当てていたので、骨伝導方式のよう。

 

検査は10分ほどで終了。名前を呼ばれたので診察室へ入る。ニコニコの先生。

 

f:id:kimatamajurnal:20231216165611j:image

 

「耳の中もきれいで中耳炎もありませんし、よく聴こえてますね」

 

と先生。いえいえ、聴こえにくいですよ。(心の声)

 

「ここの数値が30以上だと正常なんですが、このように30以上で、右も左も同じくらいのカーブで聴こえています。とくに問題なさそうですね」

 

いえいえ、空耳が多すぎて、会社の電話応対に困ってるんですけど。会話が妙に食い違うので、夫婦喧嘩も増えましたし。(心の声)

 

「ええと先生、それはもしかするとこういうことですか。❶以前はむしろ、耳がよく聴こえすぎていた ❷今少し聴こえが悪くなったが、データとしては正常」

 

「わかりません。前の状態は検査していないので。でも本当に、これはよく聴こえている方ですよ」

 

私の症状は気にしていないようで、原因を調べましょうかとか、お薬を出しましょうかといった話はなく、そのままお会計することに。正直何の解決もなかったが、ほかに耳鼻科もないし、異常がなかったわけだから、もう心配しないことにした。

 

f:id:kimatamajurnal:20231216165834j:image

 

帰りは川沿いに散歩しながら帰宅。朝の光は青みがかかっていて美しい。土手の中腹で、寝転びながら凧揚げをする男の子がいる。自分で作ったらしく、白いビニールに茶色のペンでクマが描いてある。凧が強い風にはためきながら浮遊するのを見ると、やっぱり師走な感じがする。

 

早いなぁ。もうすぐ新しい年が来るんだなぁ。

 

異言について補足

聖書は、使徒言行録やコリントの手紙の中で、異言について言及している。


異言は、9つある「御霊の賜物(※聖霊によって与えられる超自然的な能力)」のひとつで、祈るための特別な言葉である。御霊の賜物は、ほかに次のようなものがある。


1. 知恵のことば

2. 知識のことば

3. 信仰

4. いやしの賜物

5. 奇跡を行う力

6. 預言

7. 霊を見分ける力

8. 異言

9. 異言を解き明かす力


"ある人には御霊を通して知恵のことばが、ある人には同じ御霊によって知識のことばが与えられています。ある人には同じ御霊によって信仰、ある人には同一の御霊によって癒やしの賜物、ある人には奇跡を行う力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。

同じ一つの御霊がこれらすべてのことをなさるのであり、御霊は、みこころのままに、一人ひとりそれぞれに賜物を分け与えてくださるのです。"

コリント人への手紙 第一 12章8~11節

 

聖書には「からだ」という概念が出てくるが、御霊の賜物も、教会がキリストのからだとして一致して生きるために、分け与えられるものである。

 

教会においては、一人ひとりがバラバラに存在するのではなく、お互いを必要とする深い関わりの中で、あたかもひとりの人であるかのように存在する。


"皆が癒やしの賜物を持っているでしょうか。皆が異言を語るでしょうか。皆がその解き明かしをするでしょうか。"

コリント人への手紙 第一 12章30節


そのような視点でここを読むと、賜物はやはり分け与えられるもので、異言もクリスチャン全員が話すものではないことがハッキリわかる。

 

 

異言を語るからといって、別にその人が正しい信仰を持っているわけではないし、きよいわけでも、優れているわけでもない。


また反対に異言を語らないからといって、その人がまだ新生していないとか、神様からちょっとしか愛されていないとか、劣っているとかいうわけではない。


超自然的であり、目に見えるものなので勘違いしがちだが、異言を含めた「御霊の賜物」と、その人の在り方はまったく無関係なのだと思う。


"わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。その日には多くの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言し、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの奇跡を行ったではありませんか。』しかし、わたしはそのとき、彼らにはっきりと言います。『わたしはおまえたちを全く知らない。不法を行う者たち、わたしから離れて行け。』"

マタイの福音書 7章21~23節


むしろ、ここに書いてあるように、ある人が異言を話したり、異言を解き明かしたり、奇跡やいやしを行うことができたりしたとしても、死後のさばきにおいて、イエス様から「わたしはおまえを全く知らない」と拒絶される可能性もある。

    …こわぁい(心の声)


人間は、偉大な能力を持つ人に惹きつけられるもの。私自身もそうだ。しかし御霊の賜物は、他者との愛の関係性なしに、主ご自身を伴う愛のあゆみなしに、人間の自由意思によって使いこなせてしまう能力なのである。そして、それをどんな動機でどのように用いても、人はその結果をいつか、正確に刈り取ることになる。

 


先日の異言の解き明かしにおいて、「もう心配するな」と言われたので、心配しないつもりだが、これが私を慎重にさせる理由のひとつだったりする。

 

尊敬に値する神の器が、誰の目にも明らかな油注ぎを持つ華やかな神の働き人たちが、道半ばにして次々とコースアウトしている。彼らが再びレースに戻ってくる保証は、どこにもない。


果たして私はどうだろうか。

 

教会を建てあげるために御霊の賜物を求めるべきだし、それが素晴らしいプレゼントであるのは間違いない。けれども、御霊の賜物には、触れた人の内側を暴いてしまう「指輪物語の指輪」にも似た側面があると思う。神様の前を歩むとき、私は毎秒毎秒、自分の心の深みを測られ、そこに何があるのか試されている気がしてならない。


   …そこに愛はあるんか?(心の声)

 

主よ。私はあなただけを見つめていますか。どうか私をあわれんで、真っ直ぐにしてください。

 

"わが神よ。あなたは心を試される方で、真っ直ぐなことを愛されるのを私はよく知っています。私は直ぐな心で、これらすべてを自ら進んで献げました。また今、ここにいるあなたの民が、自ら進んであなたに献げるのを、私は喜びのうちに見ました。"

歴代誌 第一 29章17節

「閉ざされた園」 ジェシカ・ユン先生

f:id:kimatamajurnal:20231213174423j:image

 

ジェシカ・ユン先生の「閉ざされた園」「覆われた井戸」を、繰り返し読んでいる。


こんな内容の本とはつゆ知らず、なんとなくで取り寄せてしまったので、初めて開いたときには本当に驚いた。語弊があるかもしれないが、まるで、自分の日記をそのまんま読んでいるかのような錯覚を覚えたのだ。


これほどまでに、自分と同質の感覚を持つクリスチャンには、これまで出会ったことがない。


しかし、万人にはおすすめできない本である。読んだよ、という人たちに感想を必ず聞くようにしているが、


「よくわからなかった」


という答えが99%。内容についての批判こそしないものの、つかみどころのない本で、高かったけど特に得るものがなく、途中で読み飽きて離脱してしまったからもったいない、いっそ誰かにあげようかな、みたいな反応なのである。


私もこの本にあるような世界観を持ってはいるけれど、人には理解されないものとして、世間にオープンにすることは控えているから、

(だよねー、わかんないよねー)

と思いつつ…ちょっとだけ孤独を感じる瞬間だったりする。


ジェシカ・ユン先生は「キリストの花嫁」として、この本の中で神様と語り合っている。キリストの花嫁とは、クリスチャンが目指す素晴らしいゴールなのだが、私たち人間が思っている以上に、それはとても稀な存在であることが示されていく。


そういったことをユン先生に切々と教える神様の口調は、私が知っている神様の口調とよく似ていて、

「そうそう! イエス様ってそういう言い方するよね!」

と、私はひとり頷きながら読んでいるのである。


この本は、キリストの花嫁を目覚めさせるために、神様が書き記すことを求めた本なのだとユン先生はいう。たしかに私自身、自分が果たして花嫁なのかどうか、これを読んで考えるようになった。


キリストの花嫁か、花嫁でないか。花嫁でないなら、神様から見て、自分はいったいどのような存在なのか。そんなリトマス試験紙としてこの本が使えるのかはわからないが、気になる方には下記にAmazonの参考リンクを貼るので、ご一読をおすすめする。

 

https://www.amazon.co.jp/CONCEALED-GARDEN-%E9%96%89%E3%81%96%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%9C%92-%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%B7%E3%82%AB%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%B3/dp/4991243602

#アニメチック 研究中

f:id:kimatamajurnal:20230903052107j:image

新海誠風の風景写真を、インスタで見かける。#アニメチック というやつ。

 

海、空、雲、水たまり、電車、商店街、電線、坂道、階段、住宅街などの要素を組み合わせ、透視構図か2分割構図で撮ると、それっぽくなる。

 

水面が鏡のように景色を映し出す「リフレクション」➕2分割構図とかだと、さらにそれっぽい。

 

色味の調整がキモだと思うのだが、レタッチのポイントはコントラストを少し下げ、彩度と明るさを少し上げること。非現実感がプラスされ、どこかイラストっぽい雰囲気になる。あんまり極端な加工は雰囲気を損なうので、控えめを心がける。

 

今回の写真は、アニメの聖地・聖蹟桜ヶ丘付近で撮影したもの。レタッチには、無料のsnap seedを使っている。

 

f:id:kimatamajurnal:20230905232638j:image

 

 

浜離宮恩賜庭園 2

f:id:kimatamajurnal:20230824220513j:image

浜離宮はかなり広い庭園で、腰を下ろして休めるところもたくさんある。

 

およそ7割くらいが海外からの観光客。マナーの良い団体が多く、しずかに雰囲気よく過ごしている。

f:id:kimatamajurnal:20230824221208j:image

ここは売店を併設した休憩所。風鈴の音と、鴨居から噴霧されるミストで、涼やかな気持ちになる。お庭を眺めながら、お弁当を食べている人がいる。

 

売店の小さな立看板を見かけてからここにたどり着くまで、ずっと楽しみにしていた。濱見世っていうんだ。KIOSKね、なるほど。

f:id:kimatamajurnal:20230824221808j:image
f:id:kimatamajurnal:20230824221812j:image

池とか小径とか橋とか。このあたりはごく普通の公園みたいな感じ。

f:id:kimatamajurnal:20230824222420j:image

f:id:kimatamajurnal:20230824223319j:image

「お花畑」という場所まで出ると、キバナコスモスが広がっていた。ビルがない方角もあって、そっちを向くと、まるで山の中みたいな景色が撮れる。
f:id:kimatamajurnal:20230824222417j:image

なぜか、マンホールの蓋までもが風流。
f:id:kimatamajurnal:20230824222925j:image

木陰にベンチがポツポツ置いてある広場。ベンチというか、しょうぎみたいな広い台もある。2人ならゴロッと寝られる。都心にこんな場所があるなんて。贅沢すぎる。

f:id:kimatamajurnal:20230824223316j:image
f:id:kimatamajurnal:20230824223322j:image

浜離宮は、古いものと新しいものがコントラストをたてながら調和するようで、面白い感じがする庭園。今度来たときは、御茶屋からビル群を眺めて一服しよう。

f:id:kimatamajurnal:20230825004732j:image