きまたまジャーナル

オーロラの海に浮かぶ氷山と、アーモンドの花冠

個人的メッセージメモ 25

わたしを愛すると告白してくれるか

葦のかご教会 坂本兵部師

https://youtu.be/m51llRZYI8I?si=yxPy0HY6jEB_Rjrl

 

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神の御子イエス様は、聖書に書かれている通り3日目に復活されました。この方を私たち礼拝しています。復活なさったイエス様は、人格を持ってる方です。そして私たち1人1人を知って愛してくださってるお方です。あなたは、このお方の関心、この方の心が、どこに向いてると思われますか。


私たちは神様と深く交わりたいです。人間同士もそうだけど、相手の心がどこに向かってるか、相手の安心がどこに向かってるか。知ることって大事じゃないですか。そうでしょう? そうじゃないと良い交わりにならないです。すれ違うことになっちゃいます。


聖書に基づいて申し上げます。まず、イエス様の関心は、ご自分の新しい宗教をバッと広げていくこと、自分の作るキリスト教という新しい勢力の拡大成功には全然関心がありません。


もしもイエス様の関心がそこにあれば、復活後、真っ先にどこに現れたと思いますか。ポンテオピラトの執務室ですよ。でしょ? そうしたらポンテオピラトも気絶してひっくり返ってごめんなさいってなるんですけど、そんなところにはイエス様は全然関心がないです。


ご自分の勢力拡張に関心があれば、先頭きって自分を十字架につけたパリサイ人1人1人のとこに行くでしょう。槍で自分をさしてきたローマ兵のところに行って、どや!って言うかもしれないですよね。しかし復活のイエス様の関心は全然そんなところにはないです。


復活のイエス様の心は、愛する弟子たちのぐちゃぐちゃになった心に向かってるんです。特にペテロです。


ペテロの心はもう崩れてしまったんです。人生最悪の瞬間を経験したじゃないですか。あの衝撃から未だに立ち直れていないんです。少なくとも2回、復活のイエス様とリアルに出会ったのに、それでもなおペテロの心は全然立ち直れていない。


エス様の関心は、ただただそこに向かっています。愛する弟子の心の回復。もうそれ以外どうでもいい。本当にそれ以外どうでもいいんですって言ったらちょっと乱暴に聞こえるかもしれませんけど。お子さんを持ってる親御さんなら、共感していただけると思うんです。

 

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例えば幼稚園や小学校の発表会。舞台で何十人もの子供が歌うでしょう? お父さんお母さんの眼差しはどこに向かいますか。ただただ自分の子供でしょう? 他どうでもいいんじゃないですか? でしょ? もう自分の子供しか見てないですよね。均等ですか、キリストの愛で。そんなことないはずです。自分の子供しか見てないはずですよ。


こういう愛で、神であるイエス様はご自分の息子娘を見てるんです。「ああまだ回復できてない」。本当にもうそこしか見てないの、イエス様は。信じますか。そういう愛であなたは愛されてるんです。そういう愛で。


もう他のことはどうでもよくて、あなたがただご自分の愛の中で回復してくれることだけ 願って、あなたを見てるんです。


ペテロだけじゃないです。人生重ねれば重ねるほど、人生最悪の瞬間ってあったはずです。10代は10代なりに、50代は50代なりに。


どうですか、その衝撃からすっかり立ち直ってますか。ちょっと微妙でしょ? 未だになんかこう引きずってるものありますよね。その時の衝撃から立ち直れず何かを引きずっている私たちの痛んだ姿。それはもう言葉にもしたくない何かだったと思います。


どういうことが起こったかというと、罪と死のパワーがあなたの人生を襲ったんです。嵐のようにいろんなものを投げ倒したんです。これは大きな出来事でした。あなたのその出来事に非常に分かりやすい形で誰かの罪が関与してた場合もあるでしょう。また、まったく理由が分からない仕方でいきなり事故や病気が襲うこともあります。いずれにせよ、これは暗闇のパワー、罪と死のパワーなんです。私たちの人生を嵐のようにこれが吹き抜けていく時、私たちは深いダメージを負います。ペテロもそうだったんです。


ペテロは文字通り人生最悪のときを経験しました。イエス様が裁判を受けてる場で、知らない!知らないよ!知らないって! と、大声で呪いの声まであげちゃった。あれはペテロの人生で最悪の瞬間、悪夢のような時間でした。俺ってこんな卑怯者だったのか。よりによって、命をかけて愛していたあの方を大勢の前で裏切ってしまった。大きな声をあげて。もう、立ち直れないようなトラウマだったんです。


以前のペテロはどうだったんですか。「いやいやイエス様、なんてことおっしゃいますか。他の者たちがあなたにつまづこうと私だけはつまづきませんよ。私だけはあなたが死ぬ時も一緒にいますよ」。


ペテロのその心に嘘はなく、本気でそう言ってたんです。けれどもそんな風に胸を張って自信と情熱と忠誠心に溢れてたペテロの深いところに、どのぐらいの危うさ、もろさ、未熟さがあるか。イエス様は見て分かってたんです。だから愛をもってあらかじめおっしゃってたんです。「君はそう言うけれど、鶏が鳴く前に3回知らないって言うんだ」。


何のためにですか。ときが来てペテロが回復するため、立ち直るためです。「あなたの中にそういう弱さがあることを初めから知っていたし、あなたはそういう弱さを露呈するんだけど、それによってあなたの神であり主であるわたしは全然パニックを起こしてないから」とあらかじめ語っておられたんです。


とはいえ、ペテロ自身は深いダメージの中にいました。今日の本文 ヨハネ福音書の最後の箇所が私たちに語っているのは、次のようなことです。


ペテロだけじゃなく、私たちも人生最悪の瞬間を経験し、人によって個人差はあるでしょうけど、衝撃を引きずって今生きてるんです。そういう私たちを回復させるとき、イエス様がどういう風に私たちに触れてくださるか。この御霊が語られるメッセージを、それぞれの信仰でキャッチしていただきたいと思います。

 

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前提として、こういうことがあります。


エス様は全能の神で、愛なるお方でしょう? イエス様はペテロにこうおっしゃいました。「暗闇のパワーがあなたの人生を襲うんだけど、あなたの中から信仰がなくならないように、前もって祈ったからね」って。


"シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」"

ルカの福音書 22章31~32節


エス様はこういう方です。ぜひ聖書に基づいてあなたも信じて欲しいんですけど、あなたが悪夢のような瞬間を通過するとき、あなたは本当に苦しむんだけど、それに先だって、神であるイエス様は祈ってるんです。「あなたはとても辛い思いをする。けれども、わたしの愛するこの息子、この娘から、それによって信仰がなくならないようにとわたしは祈ったし、今も祈ってる」。


これが前提です。この完璧な祈りがあるから、私たちは今死なずに礼拝しています。そしてさらなる回復に導かれるんですね。


今日の箇所です。魚が大量に捕れたが破けてない網で153匹の魚を引きずってきた彼らを、イエス様はどういう風に迎えてくださってるんですか。


"こうして彼らが陸地に上がると、そこには炭火がおこされていて、その上には魚があり、またパンがあるのが見えた。"

ヨハネ福音書 21章9節


炭火は、ペテロにとっては最悪の瞬間を思い起こさせる道具です。覚えてますか、知らないよって叫び声をあげたときのシチュエーション。まさにあの徹夜の裁判の場所に炭火がたいてあったんですよ。そしてペテロは炭火に当たってるところであれをやっちゃったんです。だから明け方に炭火がたいてあるっていうこのシチュエーションは、ペテロにとってはあの悪を思い起こさせる状況設定だったんです。


"しもべたちや下役たちは、寒かったので炭火を起こし、立って暖まっていた。ペテロも彼らと一緒に立って暖まっていた。"

ヨハネ福音書 18章18節


エス様がなんで傷を思い起こさせるようなことなさるのかと感じるかもしれません。イエス様はメッセージを発してるんです。意地悪じゃないですよ。あのときも私は共にいたよって語ってらっしゃるんです。あの炭火に当たりながら、ペテロが人生最悪の瞬間を経験したとき、イエス様はペテロを悲しいけれども慈しみに満ちた目で見てたんです。


あなたがあの痛みを経験した瞬間も、神であるわたしイエスはあなたと共にいたよ。確かにあなたはひどく傷ついてひどいダメージを負ったけど、あなたの存在のコアまでが殺されてしまわないように、あなたの1番深いとこにわたしの命が残るように、あの最悪の瞬間、わたしはあなたと共にいてあなたを守っていたんだよっていうメッセージなんです。


ペテロだけじゃないです。皆さんをその最悪の瞬間から回復させるときも、イエス様はこのメッセージを語っておられます。是非これをキャッチしてください。


「そうなんだ。確かにあの出来事は悪夢だったけど、あのときイエス様は共にいてくださってたんだ。私がズタズタにされるあのとき、イエス様も実は一緒に痛んで、一緒に悲しんで、一緒に叫んで、そして私と共にいてくださってた。私の存在のコアが死んでしまわないように、私と共にいてくださった」


あなたがこれを認められるようになれば、癒しが始まります。信じてください。ペテロはこのメッセージを受け取り始めました。

 

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人生最悪の瞬間のトラウマから回復させるために、イエス様が次になさることは何か。まさに今日の本文ですけど、あなたを愛しておられ、あなたばっかりを見てらっしゃるイエス様は、愛するあなたの口から告白を引っ張り出そうとします。


"彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの子羊を飼いなさい。」"

ヨハネ福音書 21章15節


エス様はペテロにどういう告白を求めましたか。ペテロをオリジナルネームで呼んで、「ヨハネの息子シモンよ、わたしのこと愛してるか」って。それも最初の1回目は、「この人たち以上にわたしのことを愛してるか」って。


ペテロって人は自信に満ち溢れてたから、いつも周りと比較して言ってたんです。「いや、こいつらはイエス様を裏切るとしても、この私は裏切りません」て。いつも周りと比較して、俺は1番です、あなたに1番愛されてる、1番ですと言ってました。だからこそ傷ついてるペテロを、イエス様は知ってらっしゃる。この告白を引き出すため、わざとこういう言い方してるのです。


このときのペテロの答え方見てください。


"イエスは三度目もペテロに、「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは、イエスが三度目も「あなたはわたしを愛していますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。"

ヨハネ福音書 21章17節


なんか自信なげでしょ? ちょっと微妙な答え方でしょ? 「私がイエス様のこと大好きなのは、主が知っておられるはずです…」みたいな。なんとも自信なげな、微妙な感じなんです。


エス様はこの答えに満足してるわけではないです。でも、その時点であなたが捧げられるベストでいい。とにかくあなたの心から「はい。あなたを愛しています」という告白を引っ張り出そうとしてらっしゃるんです。これを心に止めてくださいね。


エス様ね、1回でやめないんですよ。ペテロが3回イエス様を否定しちゃったから3回質問したんだとよく言われますね。そうだと私も思いますけど、それ以上に大事なことは、イエス様は1回きりじゃなくて、何回も何回もあなたからの告白を求めるっていう、これです。


私のこと愛してる? 愛してる? これ、愛してると言ってちょうだいって意味でしょ。愛してると言ってほしいのって意味でしょ。なぜですか。なぜですか?


「愛してる」と心から言ってくれるときに、自分の存在をかけて言ってくれるときに、「わたしにとって本当に大事なペテロ」とイエス様の関係がまた始まるからですよ。そうでしょ、皆さん。

 

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私に向かって「愛してる? 兵部さん」て聞く人がいます。私が何かで仏頂面してるときとか、むっとしてるときとか、「愛してる?」って聞いてくる人いるんですよ。誰ですかね。


彼女がね、なんでそう聞いてくるかと言うと、私の姿が本来の姿じゃないと感じるからでしょ。ね? で、「愛してると言ってほしいのよ」って意味なんじゃないですか。そういう風に言われると私は「お、愛してるよ」こういう感じになるんですけどね。私のその言い方に彼女は納得してないから、また聞いてくるんですけどね。


あなたをそういう風に愛して、何度でも何度でも愛してる? 愛してると言ってくれる? 愛してる? 愛してると告白してほしいの、と迫ってくる方がいるんですよ。あなたの罪のために死に、あなたを義とするために復活されたこの方が、執拗に迫ってくるんです。


こういう愛で愛されてるんです。なぜですか。「愛してるよ」と仏頂面でもいい。言わないよりはいいんです。その時点であなたが捧げられる愛の告白を捧げるとき、それを起点としてもう1回関係が始まるからです。もう1回、人生最悪の瞬間の衝撃からあなたを立ち直らせるために、イエス様はあなたからこの告白を引っ張り出したいんです。この告白にあなたが立つとき、回復が始まるんですよ。信じます?


人格を持って、あなたのこと愛してくださっ てる方が、1番何に注目してるか。あなたの唇から出る言葉です。


私が配偶者から「愛してるの? 兵部さん」て言われて「愛してるよ」って言わなかったら 一大事ですよね。「愛してるよ」と、とにかく言う。そしたらその言葉を起点としてまた関係を回復してくれる。


エス様は、さらにそこを握って、何を語ってらっしゃるか。見てください。


"イエスは三度目もペテロに、「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは、イエスが三度目も「あなたはわたしを愛していますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。"

ヨハネ福音書 21章17節


わたしの羊を飼いなさい。わたしに属するわたしの羊たちの世話をしなさい。羊たちのケアをしなさいって言うんです。

 

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よく言われる通り、イエス様はペテロに新しい使命を与えてるんですけど、ちょっと我々に引きつけて解釈するならこういうことです。ペテロって、破れを経験した人じゃないですか。今もズタズタに破れたまんまじゃないですか。破れたまんま「イエス様あなたを愛してます」て自信なげに言ってるんだけど、イエス様は「愛してる」ととりあえず言ったペテロに向かって、こうおっしゃってるんです。


「あなたは破れちゃったんだけど、破れちゃったあなたを通して、わたしイエスが流す愛があるんだ。わたしが流す命があるんだ」


皆さん。私も皆さんも、それぞれいろんなところを通って今なお死なずに生き残ってるんですけど、聖書に基づいて申し上げます。あなただけが知ってる人生のダメージがあったとします。でも、そのダメージによってあなたが死なずになお生きて、礼拝者としての招きや召しをあなたが受けてるとしたらね、イエス様があなたの残りの人生を通してやろうとしてることは明確です。そういう痛みを通ったあなただから流せる、神の国の恵みがあるんです。そういう痛みや悲しみ、あるいは恥を味わったあなただから流すことができる、愛や恵みがあるんです。


いや私の傷は深すぎるんですとおっしゃいますか。どんな牧師も叶わない恵みが、あなたから流れるんですよ。本当にそうなんです。私の人生にどうしてこういう苦しみがのぞんだのか、わけわかりませんという叫びがあるかもしれません。


今週の葬儀でも申し上げました。なぜなぜなぜという、私たちの叫びに対しての答えはないんです。聖書はそのなぜという問いに対しては沈黙するんです。徹底的に沈黙するんです。でもその痛みのただ中にイエス様は共におられて、主と共にその痛みを通過した人は、ある特別な力、特別な恵みをまとうんです。特別な天の力をまとうんです。本当ですよ。痛みを主と共に通過した人を通して流れる、世にはない神の国の恵み、命というのがあるんです。


例えば、私の配偶者のお父さん。この教会の葬儀第1号になった、私の子供たちのおじいちゃん。あの方ね、本当に慰めに溢れた方でした。川口お父さんと一緒にいると流れてくる慰めがあるってみんなが言ってました。

あれがどこから来てるか。人生の中で、それこそ最悪の瞬間を通った人なんです、あの人は。最初の妻と死別して2度目の結婚で色々あったんですけど、50歳代の初め頃に人生最悪の瞬間を経験したんですよ。恐ろしい罪の死のパワーが彼の人生を襲って、ハリケーンが過ぎ去っていったんです。もうこれで自分の人生は終わりだと、心の底から思ったんですよ。けれども彼、証ししてました。


「そのとき、主イエス様が私に触れてくださいました。イエス様あなたを愛します。実は私こそが罪人でした。私こそがイエス様を信じると言いながらイエス様を裏切ってた罪人でした。今こそ、この私の罪のためあなたが死なれたということを前よりもっと深く告白します」。


エス様が、彼からより深い告白を引き出すことに成功したんです。その大いなる痛みを経験する前よりもっと深い愛の告白をするようになったんです。「イエス様あなたこそが私の罪のために死なれた救い主です」。ペテロにもそうでした。ペテロよ、と。


「今まであなたは若い時は自分の情熱のままに一生懸命生きてきた。自分のパッションの中で、あなたを愛します、イエス様が救い主と叫んでた。ここから先は、あなたのパッションではなくて、あなたは自分の計画とは違うところに導かれていく。自分が当初思ってたのとは違うところに導かれていくんだ。これからのあなたの手はこれからあなたの思いをはるかに超える天の父のご計画の中で、違うところに導かれていくんだ。そしてそれによって天の父のご計画、祝福をあなたは流すようになるんだ」と。


川口お父さんも50代でこのペテロと同じ召しを受けて、アーメンハレルヤイエス様は主です、という告白を前よりももっと深く捧げながら新しい人生を歩み始めたんです。彼から流れ出ていた慰め、彼から流れ出ていた命と平安。これはそこから来てるんです。


最悪の瞬間を主と共に通過した人は、そうじゃない人が持たない特別な恵みと天国の力をまとうようになります。あなたの人生にもそういう痛みがあったと思いますけど、知ってください。この世の人が持ちえない特別な神からの力が、今あなたに注がれようとしてるんだと。ペテロもそうだけど、あなたもあなたなりに一生懸命生きてきたと思うんです、これまで。これから先の人生、あなたの計画とは必ずしも一致しない。けれども神様のご計画がこれからなりますよ。


あなたに神様が持っておられる計画は、あなたの計画をはるかにこえて高いんです。そこに向かってあなたの人生が導かれていくとき、何が起こるかというと、この世の痛んだ方たちが受ける慰め、深い癒しがあなたの残りの人生を通して流れるんです。それが、あなたがまだ死んでおらず、生き残って礼拝し、深い告白に導かれている理由です。信じてください。

 

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「あなたは私に従いなさい」とイエス様はおっしゃいました。


"まことに、まことに、あなたに言います。あなたは若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。しかし年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。」

エスは、ペテロがどのような死に方で神の栄光を現すかを示すために、こう言われたのである。こう話してから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」"

ヨハネ福音書 21章18~19節


ここまで言われたらアーメンっていうものですけど、ペテロはこの後、横を見てこの子どうなりますか? って言いました。この子とは、おそらくまだ19歳ぐらいだった弟子のヨハネ。ペテロのライバルですよ。最後の晩餐のときも、イエス様にもたれかかってたこのヨハネが、ペテロとイエス様のやり取りを聞いてじーっと見つめている。それで、「この子はどうなりますか」って、イエス様にペテロは聞いたんです。


こういう、なんかずっこけるような話をしっかり書いてくれてるのが聖書の素敵なところですね。


エス様はペテロを本当に愛してるから、ペテロのしょうもない質問にもちゃんと誠実に答えてらっしゃるんですよ。


"ペテロは彼を見て、「主よ、この人はどうなのですか」とイエスに言った。

エスはペテロに言われた。「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」"

ヨハネ福音書 21章21~22節


エス様の関心はどこに向いてるんですか。もちろんヨハネにも向いてるけど、今ここでイエス様が関心注いでるのはペテロです。ペテロが、人生最悪のトラウマから新しい栄光に向かって第1歩を踏み出す。そこにイエス様の全関心が向いてるんです。同じようにあなたも、その深い痛みの中から新しい一歩、信仰の一歩を踏み出すのをイエス様がどれほど熱い眼差しで見てるか。言葉では語りえないものがあります。


人の弱さは何かというと、周りが気になることです。いやいやいやいや、うちのお母さんどうなりますか、とか。あの子どうなりますか、とか。


「いやいやそこじゃなくて、あなたはわたしに従いなさい。あなたがわたしに従うところから、すべてが始まるんですよ」。


私たちはトンチンカンなことをつぶやきながら、1番大事な従順の一歩を逃しがちです。しかしペテロは、主イエス様に対して深い告白を捧げました。ペテロはどうなりましたか。栄光に輝くペンテコステの恵みをまとったでしょう? あの人生最悪のトラウマで打ちひしがれていた人とは思えないような栄光をまとって、多くの人に神の国の祝福を流す使徒ペテロとして用いられたでしょう?


初めてイエス様と出会った日のペテロに、最初からイエス様は夢を見てました。「この者を通して世界を祝福する。この者が私のからだであり、私の花嫁である教会の最初のリーダーになる」。


あなたの人生のすべてを見ておられるイエス様が、ものすごいスケールの大きい美しい神であるイエス様が、初めからあなたの人生に持っている夢があるんです。この者を通して必ずわたしはこれをなす。それは今のあなたの思いをはるかに超えるものですよ。美しい計画があなたに向かって最初から注がれているんです。私たちは弱いから、それをよくわからないんです。分からないから、世から来る力に打ちのめされてしまうんです。


しかし皆さん、私たちの人生にはハイライトがあるんですよ。時の流れって全部均一じゃない。特別な重みを持ったときというのがあります。スポーツニュースでもハイライトシーンって出てきますね。同じように、あなたの人生にもハイライトシーンがあるんです。それは、イエス様からの召しをあなたが受けるときです。


自分が拙くて恥ずかしいけど、「あなたを愛します」「あなたを愛してます」と言って、イエス様に答えるときですよ。私を愛すると告白してくれるか? というイエス様からの語りかけに「はい。あなたを愛しています」と言って応答する。これですよ。


人間的には、イエス様感謝しますって言いづらい状況があるかもしれない。さっき私が言った義理の父もそうでした。そういう状況の中で、それでもイエス様あなたを愛します。なぜならあなたが私をこんな熱い愛で見つめてくださり、召してくださってるから、よくわからないけどあなたが私をそのように愛してくれてるから、私もあなたを愛しますと告白するとき、それはハイライトになるんです。

 

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妻は6年前大きな病気しました。ものすごい病気にかかってしまって、全身を激しい痛みが襲って起き上がれなくなっちゃって。私の奥さん、障害者になっちゃうんだと思いました。デボーションしながら、私の妻が一生重い障害負ってもこの人を愛します。そんなことをノートしてた時期がありました。でも、体動かなくなった彼女の口から、イエス様は「イエス様あなたを愛します」と告白を引っ張り出したんです。動かない口で愛します愛しますと告白してましたよ。あれを通して、私たちの家庭と教会にどういう恵みが流れたのか。あの時期を一緒に歩まれた方は知っておられると思うんです。あれは間違いなく彼女の人生のハイライトシーンの1つでした。さらに深い自由。さらに深い栄光、祝福。ああいうところを通して招くことがあるんです。信じてください。


道であり真理であり命である方は、あなたに根本的な癒しを与え、この地上でも天でもあなたを通して、多くの人を癒す祝福が流れる、それも想像を絶する仕方で流すと決めてるんです。これがあなたにイエス様が持ってる夢です。この方は成し遂げると決めてるんです。


あなたの人生にハイライトシーンが来ていますよ。今イエス様があなたの心を叩いてくださっています。イエス様は人格者ですから、強引には入ってこないです。


"見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。"

ヨハネの黙示録 3章20節


私の人生にも、今このような癒し主である救い主であるイエス様からの召しが来てることを感謝します。今一緒に祈りましょう。