きまたまジャーナル

オーロラの海に浮かぶ氷山と、アーモンドの花冠

私色に染まっていく、無法地帯。

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お題「わたしの仕事場」

 

私の仕事は「公式サイトの中の人」。SNSで、自社の商品情報を発信している。

 

今日、会社でAmazonを検索していたら、私の書いたコピーとほぼ同じ文言をつけた類似製品が、巷に氾濫していることに気づいた。大した文ではないが、自分の書いたものは自分でわかる。どう見ても私の言い回しで、丸写しに近い。

 

実はこの業界では「柳の下にはどじょうが3匹いる」と言われている。偶然的にでも一度ヒットした商品があるなら、そのやり方を真似すれば3回までは売れるよ、という意味。だから、他の会社の製品仕様や広告内容のパクりは、かなり常態化している。業界内での転職や、人材の引き抜きなども盛んだ。

 

そのAmazon類似商品の完成度の高さにあきれて同僚に見せると

「ついにパクられるとこまで成長したかー」

「すごいね。きまちゃんの時代が来てるね」

と爆笑された。

 

社長にも見せると

「きまちゃんホントは企業スパイなんだろ」

「こっちの会社でも書いてるんだろ」

みたいなことを言って、これまた爆笑された。

 

そもそも、うち自体がとてもいい加減な会社なのである。基本、ラクして儲かればなんでもいい。まさに3匹目のどじょうばかり捕まえようとするタイプで、流行ってるものをみつけたら、すぐ同じのを出したがる。なんなら、他の会社の製品を海外企業に送って、これ作れない?と聞く。

 

私の仕事は、会社が深いポリシーもなく作ってしまった製品たちの「意味づけ担当」みたいな面が強い。大切なのは、妄想する力と心得ている。妄想力があれば、ゼロから価値を生み出せる。

 

商品開発にあたっての着眼点はなんだったのか。商品の向こうにいる、お客様への思いとは。発案がカタチになるまでの試行錯誤。品質へのこだわり。ブランドストーリー。

 

たとえば、もともとはなかったそういう部分を勝手に肉付けして書いていく。書くうちにどんどん筆が乗ってきて、もっともらしくなっていく。捏造に過ぎないのだが、私がどんなに大言壮語しても、みんな何も言わない。むしろ、そこにしれっと乗っかってくる。

 

果たしてどこまで「攻めて」いいのか、その境界線を知りたくなったことがあった。それで、創業にかけた思いとか、これまでのあゆみの振り返りとか、今期の我が社のビジョンみたいなものまで記事にして校正回覧してみた。内容はもはや完全なるフィクション。だが、社長と部長のハンコが押されて、普通に手元に戻ってきた。

 

校了。いいね。掲載よろしくってことだ。

 

今、その記事がそのまま、まことしやかな営業トークになっているのを見ると笑える。

 

私は会議に出たこともない、しがないパートのおばちゃんなんだが、文字通り「中の人」として、この会社をひそかに操っている気がしてならない。