日曜日、私は不思議な人に会った。
内側から神の光が溢れて、川のようにサラサラと流れている人。真珠のような天上の輝きを、胎内にひっそりと宿している人。外見はごく普通だから、その人の不思議さを言葉で説明するのは難しい。でもきっと、会えばあなたにも意味がわかる。
カフェのソファで、ただ向かい合って座っているだけなのに、私は御使い(天使)とお茶している気分になった。
その人が話すと、私の内側がやさしく探られていく。その人自身によってではなく、その人から伸ばされてくる神様の手によって探られていく。医者が患者にそっと聴診器を当てていくときのような、穏やかさ。温かさ。安心感。
その人が話すと、私の奥深い部分に次々とスポットが当てられ、その途端、しこりのようなものがフワッとほぐれていくのがわかった。ああ、神様はまさにそういう方だ。暗闇をあばいて明るみに出し、たちまち光に変えてしまう。
私から個人的なことは何も説明していないし、誰かから告げられたわけでもないのに、その人はすでに、私をとりまく状況の多くを悟り理解していた。そのことが私には深い慰めとなった。なぜなら、つい数週間前
「私はひとりぼっちです」
「あなたがこの祈りを聞いておられるという、しるしをください」
と、夜通し神様に叫んだばかりだったから。
あまりに苦しかったから、その日の日記は今も下書きのままだ。
けれども、ひとりぼっちのようにみえて、私はひとりではなかった。あの夜も神様はたしかに私の声を聞き、この人をメッセンジャーとして送ってくださっている。ならばそれで十分だ。