きまたまジャーナル

オーロラの海に浮かぶ氷山と、アーモンドの花冠

霊的識別(見分け) 5

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見分けたら、次に何をすべきか。

それぞれの信仰の段階に応じて、

松竹梅コースがあるように思う。

 

 

梅:(一般的見分け)

    すべての悪を避ける

 

私たちは神によりきよめ別たれたもの、

区別されたものなので、

まずは善悪を識別し

徹底的に悪から身を避ける必要がある。

 

"御霊を消してはいけません。
預言を軽んじてはいけません。
ただし、すべてを吟味し、良いものはしっかり保ちなさい。
あらゆる形の悪から離れなさい。"
テサロニケ人への手紙 第一 5章19~22節

 

 

竹:(やや高いレベルの見分け)

     牧者についていく、あるいは逃げる

 

牧師のメッセージを聴くなかで、

また牧会に反映されている

牧師の考え方(心の声)を知る中で、

この判断が必要となる場合がある。

 

本当に自分の命を守る牧者なのか、

それとも雇人の牧者に過ぎないのか。

牧師を愛し従順しながらも識別し、

身の振り方を決めねばならないこともある。

 

"門番は牧者のために門を開き、羊たちはその声を聞き分けます。牧者は自分の羊たちを、それぞれ名を呼んで連れ出します。
羊たちをみな外に出すと、牧者はその先頭に立って行き、羊たちはついて行きます。彼の声を知っているからです。
しかし、ほかの人には決してついて行かず、逃げて行きます。ほかの人たちの声は知らないからです。」"
ヨハネ福音書 10章3~5節

 

松:(高いレベルの見分け)

     見分け、とりなしの涙を流す

 

これは預言者の働きであると思う。

聖霊が分け与えてくださる神の心のままに、自分も神とひとつになる思いで、現状に心痛め、夜も昼も涙を流す働きである。 

 

この立場が与えられた人は、幸いな人である。そこにとどまり、聖霊とともに激しく心痛めなければならないが、その人の苦しみには報いがある。


"あなたは彼らに、このことばを言え。『私の目は、夜も昼も涙を流して止まることのないように。おとめである娘、私の民の打たれた傷は大きく、それは癒やしがたい、ひどい打ち傷。"
エレミヤ書 14章17節