きまたまジャーナル

オーロラの海に浮かぶ氷山と、アーモンドの花冠

分岐点

f:id:kimatamajurnal:20230111085316j:image

 

クリスチャンになったあとも、

人は深刻な罪に陥ることがある。

しかしそのとき、

神はさまざまな方向から

悔い改めの機会を与え続けてくださる。

 

それは、神が

たとえ悪人であっても

人が滅びることを願わない愛の方だから。

 

しかし、

その神からの悔い改めの促しを

あくまで拒み続け、罪にとどまるとき

人は神とのつながりを

保っていることができなくなる。

 

ついには御霊が悲しみながら離れ

その人は油注ぎを失い

その人の放つすべてから

いのちの輝きも消えていく。

 

それは、神が

義をもって世界をさばくきよい方だから。

 

これは、私の体験してきた信仰の分岐点。

罪の只中にあるとき、

人はその深刻さにほとんど気づかない。

 

 

"主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。"
ペテロの手紙 第二 3章9節