クリスチャンになったあとも、
人は深刻な罪に陥ることがある。
しかしそのとき、
神はさまざまな方向から
悔い改めの機会を与え続けてくださる。
それは、神が
たとえ悪人であっても
人が滅びることを願わない愛の方だから。
しかし、
その神からの悔い改めの促しを
あくまで拒み続け、罪にとどまるとき
人は神とのつながりを
保っていることができなくなる。
ついには御霊が悲しみながら離れ
その人は油注ぎを失い
その人の放つすべてから
いのちの輝きも消えていく。
それは、神が
義をもって世界をさばくきよい方だから。
これは、私の体験してきた信仰の分岐点。
罪の只中にあるとき、
人はその深刻さにほとんど気づかない。
"主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。"
ペテロの手紙 第二 3章9節