一見矛盾するように感じる御言葉、
両極端と思えるような御言葉がある。
「両輪」なのだと思う。
たとえば、次の二つは
罪をおおうことについての両輪である。
"私の兄弟たち。あなたがたのうちに、真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を連れ戻すようなことがあれば、
罪人を迷いの道から引き戻す者は、罪人のたましいを死から救い出し、また、多くの罪をおおうのだということを、あなたがたは知っていなさい。"
ヤコブの手紙 5章19~20節
"何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。"
ペテロの手紙 第一 4章8節
もし、誰かの罪を真剣に覆おうとするなら、
愛ゆえの「厳しさ」と「あわれみ」
そのさじ加減に苦しむ。
苦しみながら、わからないなりに
矛盾する御言葉を
心にあわせもとうとするとき、
神の心を知るための祈りが生まれる。
神の中では
どの御言葉も矛盾せず保たれている。
それこそ、人智をはるかに超えた
神の不思議さ、偉大さと思う。
主よ、今日も私にあなたを教えてください。