きまたまジャーナル

オーロラの海に浮かぶ氷山と、アーモンドの花冠

信仰のpH調整

一見矛盾するように感じる御言葉、

両極端と思えるような御言葉がある。

「両輪」なのだと思う。

 

たとえば、次の二つは

罪をおおうことについての両輪である。

 


"私の兄弟たち。あなたがたのうちに、真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を連れ戻すようなことがあれば、

罪人を迷いの道から引き戻す者は、罪人のたましいを死から救い出し、また、多くの罪をおおうのだということを、あなたがたは知っていなさい。"

ヤコブの手紙 5章19~20節


"何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。"

ペテロの手紙 第一 4章8節

 

 

もし、誰かの罪を真剣に覆おうとするなら、

愛ゆえの「厳しさ」と「あわれみ」

そのさじ加減に苦しむ。

 

苦しみながら、わからないなりに

矛盾する御言葉を

心にあわせもとうとするとき、

神の心を知るための祈りが生まれる。

 

神の中では

どの御言葉も矛盾せず保たれている。

それこそ、人智をはるかに超えた

神の不思議さ、偉大さと思う。

 

主よ、今日も私にあなたを教えてください。

 

 

f:id:kimatamajurnal:20221228224033j:image