きまたまジャーナル

オーロラの海に浮かぶ氷山と、アーモンドの花冠

死ななければならないのなら、死にます

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面談の最中に相手が持ち出してきたのは、なぜか龍安寺の石庭のたとえだった。庭の細部にこだわらず、ぼんやり全体を見ようとすると、それまで見えなかった宇宙が見えるという。

 


つまり、「お前はこだわり過ぎて視野が狭いから、教会全体が見えないんだ。俺には見えている。逆らうな。知恵のないやつは黙っていろ」という意味だと思う。

 


しかし今日、通勤途中に駅で祈っているとき、ふと心に神様からの語りかけが来た。

 


「娘よ、あなたはこれまで、彼をかばってなんとか穏便に解決することにこだわってきたんだよ」

 


「けれども、そのこだわりをおろして、教会全体を眺めようとしたとき、彼の利益ではなく教会の利益の方が重いことが見えたね。それであなたは、すべてを明らかにした」

 


「あなたはまるで、ハマンに対するエステルのようだったよ。それで良い」

 


感謝だ。神様が認めてくださるなら、私もそれで良い。心の中から、うめきと痛みが消えた。