クリスチャンも、孤独や絶望、敵意や抑圧のまっただなかに置かれることがある。むしろ、神に愛される者だからこそ、クリスチャンはこうした暗闇の経験を「必ず」通過させられるという。
ペテロやパウロの敬虔な人生に、押し潰されそうな闇夜が幾度となく訪れたように、私の人生にも多くの漆黒の夜があった。
彼らが暗闇のほとりで神に出会い、御声を聞いたように、私も人生の夜更けにともしびを灯して神の手紙の束を広げ、その語りかけに耳を澄ましてきた。
いや、まさに今もそんなときと言える。
一筋の光もない夜は恐ろしい。けれども、その暗黒の中に神はおられる。神にとっては、闇も真昼のごとく明るい。クリスチャンは、暗闇の静けさの中でこそ、生きておられる真実な神を探し求め、その手にすがることができる。ここに苦しみの意義がある。